あなたと台湾人との最初の出会いはなんだったでしょうか?

東北大震災の義捐金の件から、日本と台湾の結びつきがぐっと強くなり、台湾を意識するようになった人が非常に多くなったと聞いています。

僕が台湾人を意識したのは今から20年前、中国ででした。

当時学生だった僕は、バックパッカーの端くれで、大きなバックを担いで中国を回っていました。

中国では電車の切符を買うのが非常に大変。とことんケチる旅行をしていた僕は、どうしても中国人との切符争奪戦に参加せざるをえませんでした。

駅で長い列に並び、度重なる横入りや、周りの大きな音を立てて痰を吐く音に耐え、なんとか窓口にたどりついても無愛想な駅員に「没有(ない)」と怒鳴られるなど、大変な思いを繰り返していました。

ただ大きい都市の駅だと外国人専用窓口が設けられ、他の中国人とは別に切符を購入できました。

あるとき上海で切符を買おうとしたのですが、あまりの中国人の多さにうんざりして、外国人専用窓口に行きました。それでも上海ということもあり、外国人専用窓口でも長い列ができていました。

列に並んでいると、突然後ろの人の足が僕の足に軽く当たりました。人が多い中国では余り気にすることではないので、特にどうとは思わなかったのですが、意外にも後ろの方から「対不起(すいません)」という中国語が聞こえてきました。

「対不起(すいません)」は、日本の中国語テキストで早くから学ぶフレーズにもかかわらず、当時中国でほとんど聞いたことがありませんでした。

逆に一番聞くフレーズは、「没有(ない)」で、一番話すフレーズは「不要(いらない)」だったと記憶しています。

店に行って目の前にある商品を買おうと店員に声をかけても、「没有(ない)」。
長い列を並んでも結局言われる言葉は、「没有(ない)」。
ホテルにチェックインしようと部屋があるか聞くといつも、「没有(ない)」。
日本人と知ってか「あれ買え、これ買え」としつこい物売りにいつも言っていた、「不要(いらない)」。
あと、何を聞いても「不知道(知らない)」もよく聞きました。

日々中国人との戦いに疲れていたときにフト聞いたこの「対不起(すいません)」のフレーズは、なんとも言えず新鮮さを感じ思わず振り返ってみたとき、目に入ったのがその人の持つ「中華民国(台湾)」パスポートでした。

同じ中華民族でも違うんだ!それが僕の初めての台湾体験でした。