荷物一つで台湾に乗り込んだ7年前
2014年3月14日は僕にとって台湾移住7年という節目の日です。

7年前トランク一つで桃園空港に一人降り立ちました。今思えば男35歳で単身台湾に乗り込むなど世間知らずもいいところでした。

来たころは仕事も生活も苦戦続きで、故郷岡山にいつ帰ろうかと本気で考えた時期もありました。

台湾移住7年を記念して、台湾に来た当初から振り返って感じたことを7つ書いてみようと思います。

1.実はテレビをみなくても生きていけるとわかった
あなたは当然テレビがなくても生きていけますね?
7年前まだ30代だった僕の生活は、恥ずかしながらまだテレビが中心でした。
帰宅するとビール片手にバラエティ番組や野球中継を見ていました。

台湾に来たころは、テレビがリアルタイムで見れなくなることで話題にもついていけなくなるのではないかと少し気がかりでした。

しかし結局インターネットがあることもあり、そんな心配もまったく杞憂に終わりました。

2.日本の芸能界に疎くなった

テレビを見ないせいかそれともそういう年になったからかはわかりませんが、台湾で生活していると日本の芸能事情に全く疎くなりました。

流行のピークを過ぎてから小島よしおの「そんなの関係ねぇ」をテレビで目にした時は、なんだか世の中から置いてけぼりを食った感じがしました。

楽しんごにいたっては、ネットの記事しかみていなかったので、名前の読み方をずっと「らくしんご」と思い込んでいて恥をかきました。

3.インターネットサービスが本当に便利になった
スマホがあれば台湾でも生きていける
7年前すでにインターネットはありふれていましたが、まだまだ今ほどいろいろなサービスはありませんでした。

最近はスマホが普及し、特にLine(ライン)が出てきてからは、国際電話というものが意味がなくなってきた感があります。

今や台湾のどこにいても、ネットで日本の最新情報がわかったり、果てはフェイスブックで日本の友達がどこでご飯を食べたかさえ知ることができたりします。

もはや浦島太郎状態になることはありえません。

4.父母の老化を強く感じる
父母もいつまでも若くない
1年に1回、事情によって2年に1回しか故郷岡山に帰ることができないこともあり、なかなか父母と会う機会がありません。

それだけ期間が開くとどうしても父母の姿を見て「ああ、また老いたなぁ」と強く感じます。あと何回親に会えるのだろうとふと考えることもあります。

5.岡山に帰るのが便利になった
台湾便ができた岡山空港
7年前は中国地方で台湾便が飛んでいるのは広島だけでした。それが昨年(2013年)から岡山便や香川高松便が飛ぶようになりました。

岡山便はまだ季節便で冬は飛んでいませんが、それでも関空経由よりも早く岡山に帰ることができます。

まだ利用する機会はありませんが次回帰省する時は乗ってみようと思います。

6.日本と台湾の結びつきが強くなった
台湾ではたくさん日本人を見かけるようになりました
7年前台湾に移住することになったとき、周りの反応は「台湾ってどこ?台湾って何があるの?」など、まだまだ認知度はありませんでした。

新聞紙面は経済成長を続ける中国のことばかりで、台湾のことが報道されることもあまりありませんでした。

しかしあの東北の大震災で台湾から多額の義捐金が送られたことを契機に、台湾に対する注目度が大幅にアップしたことは皆さんもご存知の話です。

7.祖国日本・故郷岡山県が妙に気になる
やはり故郷岡山県が懐かしい
重苦しい日本、田舎過ぎる岡山県に嫌気がさして飛び出したはずなのに、大地震や不景気、そしてきな臭い国際関係で苦戦の日本、そして高齢の両親が住む岡山県が気になりはじめました。

このブログを書きはじめたのも、もっともっと自分が住む台湾と岡山県の結びつきが深まればと思ったのがきっかけでした。

しかし岡山で育ったにも関わらず、あまりにも岡山を知らないことに気がつきました。

今また岡山県について勉強中です。

台湾に長期滞在の皆さんは?
すでに私より台湾生活が長いベテラン・先輩方も非常に多いと聞きます。皆さんは日ごろどんなことをお感じでしょうか? 


もっと岡山県を知るための参考書籍 
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