あなたは喜びを誰かに「分享」してますか?
日本にいれば箸にも棒にもかからない僕ですが、台湾にいればそれなりに台湾人のお役に立てるときもあります。それは「日本語」。
日本にいればあまり感じませんが、まだ日本語熱が覚めやらない台湾(もうかなり冷めてはいますが)では「日本語ができる」ことが曲がりなりにも価値があるようです。
だからこんな40を過ぎた冴えないおっさんにも「日本語を教えて」なんて言い寄ってくる台湾の女性の方もいらっしゃいます。
こちらはいかにもおっさん的ないやらしい気持ちなのですが、一方日本語を聞いてくるほうはかなり真剣。質問の内容も非常に厳しいものばかり。
苦労や痛みしか分かち合った記憶がない・・・・
日本人が分かち合うのは苦労や痛みなどマイナスのことばかり
その中で非常に印象に残ったのが「分享」の日本語を聞かれたときです。インターネットで検索すると、「 (喜び・権利などを)共に分け合う,分かち合う」なんて意味が掲載されているのでそのまま答えたのですが、僕自身この表現に大変違和感を感じてしまいました。
もうすぐ43を迎えるおじさんですが、日本語で「喜び・権利などを共に分け合う,分かち合う」なんて言葉を口にした 記憶が全くないからです。
どちらかというと残念なことに苦労や痛みを分かち合った記憶が非常に多いですね。
あなたも私と楽しい台湾生活を「分享」しましょう
あなたもみんなと楽しい台湾体験を「分享」しませんか?
台湾にいると、よく自分自身が得た知識や経験を「分享」しましょう、とか本当によく聞きます。そして「この商品は使ってみてよかったよ、あなたも使ってみて」とか「 このおかし、おいしいよ、あなたも食べてみて」とか「分享」されることが非常に多いです。
僕がかつていた数年前の日本のコミュニティでは、「おせっかい」に感じる域に至るかもしれません。ただこうした「分享」が多い台湾にどっぷりつかっていると、日本はなんて人との境界を超えることに気を使いすぎなんだろうと感じてしまいます。
たぶん日本でもコミュニティの絆が強い地域や職場にいけば、「分享」があるのかもしれませんが・・・。
こうした台湾の「分享」事情を考えると、フェイスブックのユーザーが多いことや、マルチ商法の会社が多いこともうなづける気がします。
それはともかく、さあみなさんも楽しい台湾経験をみんなと「分享」してみませんか?