台湾基隆市になぜ岡山県人が住んでいるのか?

私は岡山県倉敷市出身で、2007年3月に岡山を離れ台湾の北東にある港町、基隆市に住んでいます。 台湾でのサラリーマン生活で感じた個人的な感想をブログで書かせていただいています。

Tag:岡山

台湾では人が密集する建物内では、マスク着用が奨励されています。
バスもMRTも電車もマスクがないと乗れません。

そして息子が通う習い事の建物でも。
台湾でもマスクはまだ必要

少し前になりますが、今年(2020年)5月頃、日本岡山に一時帰国しました。
そういえば近所の庭で見たお地蔵さんもマスクをしていました。
岡山でみたマスクをしたお地蔵様
早くコロナがおさまるとよいですね。
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印鑑証明のない海外在住者は役場でつまずく
先日から、コロナ渦中に日本に帰ったり、台湾に戻ったりといった時の状況をブログで書かせていただいております。





なぜ、こんな渦中にこんなことをしていたのか?

理由は、日本の父がちょうどコロナの時期に重病になり、そして亡くなったからです(コロナではありません)。

日本に両親を残し、海外でご活躍をされている皆さんもひとごとではありません。コロナ渦中かどうかを問わず、いざという時どういった困難があり、どんな準備が必要か?私の経験が皆様の参考になれば幸いです。

1.海外在住者はすぐに公に出れない(コロナ渦中の場合)
海外在住者はすぐに外出できない
私が帰国した2020年5月初旬は特に緊急事態宣言下であり、日本国中がコロナにかなりピリピリしていた時期です。

県外の移動も自粛しているなか、海外帰国者が早々に公に出れるわけがありません(実は空港のPCR検査で陰性だと確認しているので、日本在住者よりは確実に問題ないはずですが・・・)。

自宅謹慎の14日間は、病院に見舞いやお葬式の参列など不可能です。またご近所の目が大変気になりました。

ですから、もしコロナ渦中に日本に緊急で戻るときは、早いにこしたことはありません。

2.海外在住者は、手続きの負担が大きい
お葬式等が終わると、年金の手続き、故人の名義変更、その他で、役場、年金事務所、法務局、金融機関など足繁く通う必要がでてきます。

これらに共通して言える事は、「平日しか空いていない」ということです。

私の兄弟は当然平日は仕事があり、母は運転もできず、手続き内容がイマイチ理解ができていない。となると、しばらくはすべて海外から帰ってきたあなたに手続きをお願いされることになります。

手続きを以下に効率的に行うか、事前に書籍などで十分予習しておくことをお勧めします。また、書籍の内容がすべて正しいというわけでもありませんから、訪問前に電話などでそれぞれの機関に確認だけとっておいた方が良いです。

3.日本に住所のない海外在住者は、印鑑証明でつまずく
一般的に海外に在住している方は、日本の住民票を抜いているはずです(でなければ税金が毎年請求されます)。

となると困ってくるのが、手続きにあなたの住所を書くときです。

家族の戸籍謄本など比較的一般的な書類であれば、発行申請時に窓口でその旨を告げれば特に問題ありませんでした。

しかし、故人の名義変更、相続関係になると、「実印」が求められます。勝手に三文判の認印ではだめです。印鑑証明が必要です。

印鑑証明は、住所地を管轄する役所が発行するものなので、日本に住所がないと国内ではどこも発行してくれません。

自分が居住する国・地域の日本在外機関で、印鑑またはサインの認証を受けなければならないのです。だから、事前に準備しておかないと一度また海外に戻らなければならなくなります。

ちなみに台湾では、交流協会で印鑑証明の手続きができます。

以上、私のつたない経験ですが、今後の皆様のお役に立てば幸いです。
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我が故郷 岡山県
家族の事情で、2ヶ月近く日本の実家(岡山県倉敷市)に逗留していました。こんなに長く岡山にいるのも10年以上ぶりでした。この滞在中で感じた日本の気になる風景を7つ書き出してみたいと思います。

1.どこを見ても年寄りばかり
日本は本当に老人が目に付く
家族に代わり、買出しやら手続きやらで倉敷市内を回っていたのですが、目に付くのは年寄りの多さ。お客も年寄りなら、従業員も年配の方々ばかり。

学校の登下校を見ていても、私らの世代(昭和47年生まれ)から見ると学生が激減していることが良く分かります。

私の住んでいるコミュニティも、今は年寄りしか残っておらず、息子・娘世代はみんなでていったようです。夕方に散歩しても子供が遊ぶ姿も見えません。

交通が不便で、自家用車がなければ買出しにも不自由するのに、これからどうなるのでしょう?

2.新しい道路が増えている
田舎に増え続ける道路
岡山に逗留中、親の自動車を運転していたのですが、昔の記憶で走っているとよく道に迷いました。昔より道路が増えているのです。

確かに車を運転する人にとっては便利になったと思うのですが、車も運転できないような年寄りが増えている現状、ここまで金を使ってよいのかと思いました。維持費のことを考えても、これは無駄遣いのような気がします。

3.日本(岡山)は軽自動車が多すぎる
日本は本当に軽自動車が多い
日本(私の見た岡山)は本当に軽自動車が多い。台湾ではほとんど軽自動車は普及していないので非常に対照的です。

そして、どの軽自動車も車高が高い。また、軽自動車以外に目を向けても、ワンボックスカーばかり。

台湾はというと、SUVの輸入車が非常に目に付きます。

4.日本のテレビはますますおもしろくない
日本のテレビはおもしろくない
2ヶ月間久しぶりに日本のテレビを見ていて目に付いたのは、学生時代(1990年代)見た番組がまだ多くやっていることです。内容もあまり変わっていません。

お笑い第7世代などが出てきていますが、学生時代の幅をきかせた大御所芸人がいまだ多くテレビに出ており、既視感を感じざるを得ません。

朝やお昼のワイドショーも、どのチャンネルまわしても全く同じ内容なので全く面白くない。

そんななか、テレビせとうち(テレビ東京系列)だけは気になりました。他の局とは一線を引いたキャスティング(B級の芸能人が多く出演)や、番組内容(アニメや時代劇、バラエティ)で、はっきり差別化が感じられました。

好んでテレビせとうちだけ見るわけではないけれど、他局が全く同じような内容でつまらないので、
結果としてこの局を見る機会が多かったです。10年前では考えられない状況です。

5.役所の対応が変わった気がする
役所の対応に変化が
諸々の手続きの関係で、今回役所に行く機会が非常に多かったです。そこで気になったのは、役所の人が私のことを「お客様」と呼ぶことです。

約10年前、岡山で一番大きな市役所で大声で怒鳴られたことがトラウマになっており、この「お客様」という言葉は大変新鮮さを感じました(当時から「お客様」と呼ばれていて、私がただ気がつかなかったのかもしれませんけど)。

6.本屋が減っている
私は本が好きなので、街中の本屋の位置はよく覚えているのですが、あらためて本屋が少なくなったと感じます。

アマゾンやら、電子書籍やらが普及して、わざわざ本屋にいく必要がなくなったのだなと残念に感じます。

7.日本のITはこんな程度か?
日本のITはこんなものか
最後に最も強く感じたのは、日本は科学立国と思っていたのですがどうもそれは幻想ではないか?ということです。

「COCOA - 新型コロナウイルス接触確認アプリ」やら、ネットからの10万円給付金申請で、トラブル続出です。

またPayPayでおなじみの電子決済サービスもようやく出てきましたが、台湾と比べると日本のITがなんとも情けない感を感じざるをえません。

台湾ではすでにIT技術が生活にもいろいろ応用されています。もちろんいろいろトライ&エラーがあるわけで、全てうまくいっているわけではありません。

マスコミでもよく叩かれていますが、少しでも暮らしが便利になるのならと、台湾人はIT導入に前向きだと感じます。

しかし日本は「個人情報の保護」がお題目のように唱えられ、前にすすもうにも困難な状況のようです。ワイドショーとかでは、完璧な「個人情報の保護」が担保されなければそんなITは必要ない旨発言するコメンテーターもいました。

エラーのない「完璧なサービス」と「完璧な個人情報の保護」ができるまで、日本の生活レベルはこのまま停滞しそうです。
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関空から台北へ
        梅雨前線で荒れ模様 関空から台北へ
岡山の実家の用事もひと段落つき、台湾に戻ることにしました。

岡山→(新幹線)→新大阪→(特急はるか)→関西空港→(飛行機)→桃園空港というルートで帰ります。台湾から来たときと比べると(検疫の関係で関西空港から岡山までレンタカー)、かなり楽でした。

しかし、私の事前調査の甘さや偶発的に起きたアクシデントのため、飛行機の乗るころには精神的にいろいろ疲れてしまいました。

状況が流動的ではありますが、もし近い将来台湾に来ざるを得ないことがある人に役に立てばと思い、私の今回のダメダメ経験を紹介させていただきます。

1.関西空港に行けない特急はるか 
台湾に向かう当日(7/4)は、早朝から梅雨前線の影響で九州南部が大雨特別警報が出るくらい天気は荒れていました。それでも岡山は小雨程度だったのでたいした危機感もなく、出発2時間前にぎりぎり着くくらいの交通スケジュールで向かっていました。

しかし、特急はるかがりんくうタウン駅の手前まで来たところで、強風のため急に関西空港連絡橋を渡ることができないとのアナウンスが車内に流れました。

急遽代行のバスが走ることになり、バス停前は空港に向かう人で長蛇の列となりました。運よく前の方に並べたのですが、それでも約30~40分程度到着が遅れてしまいました。

しかも空港についてからも、下記に紹介するいくつか未確認なことがおこり、時間に追われるチェックインでした。ですから当たり前ですが、時間に余裕をもつに越したことは絶対にありません。

2.入境検疫系統へ登録しなければ、チェックインができない
入境檢疫系統
         登録しなければ台湾へは入れない 入境検疫系統 
現在台湾に入国するにあたり、台湾の衛生福利部のシステムにインターネットで事前に登録しなければなりません(入境検疫系統:https://hdhq.mohw.gov.tw/Page/FromArea)。

ここに、自分の個人情報、過去14日どこにいたか、PCR検査の陰性証明を持っているか、隔離の14日はどこにいるのかなど、こと細かく入力していきます。

入力が完了し、OKサインがでた画面をスクリーンショットに撮ってチェックインカウンター職員に見せれば手続きは完了です。

その後、登録した携帯電話番号に確認のショートメッセージがきます。このメッセージのリンク先画面を桃園空港の検疫に見せれば、ゲート通過時に発熱をしていない限り、そのままPCR検査もなく入国審査に行くことになります。

日本と比べると台湾の検疫はかなりあっさりしており、拍子抜けしてしまいました。

2020.5 コロナ禍の緊急帰国(台湾→関西空港→岡山)その2 関西空港での検疫

台湾入国にあたり、外国人はコロナ検査の陰性証明(三日以内に検査したもの)を提示することになっています(私が入国した7月4日から居留証を持つ者は免除)。だから台湾ではPCR検査もしないのだと思われます。

交通機関のトラブルで慌てながら空港に入った私ですから、チェックインカウンターでいきなり入境検疫系統への入力を求められ、頭は大混乱。そしてさらにまた一つトラブルが同時に起こります。

3.カップヌードルを持って台湾への入国はできない
台湾にはカップヌードルをもっていけない
       関空で処分に困ったカップヌードル
台湾基隆の我が家には65歳の嫁の母が同居しており、感染の恐れから居家隔離(自宅での隔離)14日はできません。だから今回は台北にある防疫旅館を嫁に予約してもらいました。

14日は一歩も外に出られないので、食事はホテルか、Uber Eatsなどのフードデリバリーサービスにお願いするしかありません。

それで自分用にカップヌードルを持参しようと思い、量販店で箱買い(20個入り)をしました。岡山から関空まで紙袋にすげてチェックインカウンターに赴いたところ、すぐに中身を聞かれました。

うかつだったのですが、台湾ではこれまた検疫の関係で肉類は持ち込み禁止なのです。カップヌードルにも肉が入っているのでこれもだめなのです。

日本から台湾に肉製品は持ち込めません~2019年7月編。(ヨカヨカタイワンより)

搭乗までの時間も近づき、この20個のカップヌードルをどう処分すべきか結構悩みました。

岡山に送り返そうとしても、このコロナ渦中、空港内の郵便局や運送会社が開いているのだろうか(しかも土曜日)?送料かけてまで送り返すものなのか?

ゴミ箱には入らないのでこのまま脇に置いておくのも、このご時勢、不審荷物で疑われやしないか?

結局、たまたま空港の警備関係者らしきおじさんが近くを通り、事情を話してみんなで食べてもらうことにしました。

などなどこんな感じで、はるか遠いボーディングゲートにトボトボ歩いて着くころには身も心も疲れ果てていたわけです。
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コロナ禍のホテルの廊下
1.ホテル宿泊
帰国日当日に空港に迎えが来ない人、当日にレンタカーを手配できない人は、検疫所指定のホテルに宿泊することになります。一泊だけ無料で泊まることができます(二泊目以降は有料)。

翌日検疫の結果が出た後、陰性であればホテルを出ることができます。結果は翌日の午前中に部屋まで電話がかかってきます。

バスがホテルらしき場所の前に停まると、名前を呼ばれた人から下車です。下車して自分のトランクを出すと、ホテルの裏口から中へ入っていきます。

ホテルのフロントで受付をする代わりに、裏口エレベーター近くに設置した簡易机で簡単に名前を確認され、手配された部屋を告げられます。

裏口エレベータで指定の階まで行き、そこから部屋に入ります。エレベータのボタンすら押させてもらえません。まだ結果がでていないのですが、もう完全に感染者扱いです。

2.宿泊の掟(おきて)
コロナ禍で帰国者用に準備されたホテルの部屋
       
帰国者受入ホテル 至って普通の部屋
宿泊するにあたり、事前にいくつか説明がありました。その中でも特に注意すべきことは下記の2点。

(1)部屋から一歩も出てはいけない。
 一度入室すると一切室外には出ることはできません。だから近くの店に買い物もいくことができません。このため部屋の鍵は渡されません。

 驚くことにフロアの廊下の一番奥に見張り番の職員がずっと座っていました。

 館内の自販機でお酒でも買おうかと思っていましたが、それも無理。また室内で飲酒すること自体なぜか禁止されていました。

(2)食事はノックがしてから数分経ってから取ること。
 外へ出ることができない代わりに、職員がドアの外まで弁当など三食の食事を持ってきてくれます。部屋の外には椅子があり、その上に食事を配っていきます。食べたごみはその椅子の下に置くことになります。

 職員が食事を持ってきた際、部屋のドアをノックされますが、すぐにドアを開けてはいけません。そのフロアの食事を配り終わり、職員が立ち去ってからドアを開けることになります(その時間、ノック後数分と表現されていました)。

室内は普通のホテルと全く同じで、テレビもお風呂も使えます。WI-FIも飛んでいるのでインターネットもできます。環境は快適でした。

3.食事
コロナ禍ホテル夕食
       
宿泊当日夜のお食事
なにもやることはないので、やはり気になってくるのが食事の時間とその内容です。

食事の時間は、夜は7時ころ、朝も7時ころと記憶しています。昼はチェックインが遅かったこともあり、夕方近くにきました。食事は至って普通で、おいしくいただくことができました。

4.岡山へ
翌朝8時過ぎに部屋の電話が鳴りました。厚生省の職員の方からで、私のPCR検査結果は陰性だという連絡でした。多分今後の人生において、厚生省と直接連絡をとるのはこれが最後だと思われます。

その後すぐに荷物を片付けて部屋を出ました。エレベータ前では係員が厚生省が押印した「PCR検査 陰性」の証明書を手渡してくれました。
PCR検査結果
             PCR検査結果 陰性
変な裏口を通り、今回は晴れてホテルのフロントから出ることができました。そしてやはり歩いて5分もたたないうちに、空港のレンタカー事務所が軒を並べる棟に着きました。

そこには10社近くレンタカーオフィスが並んでいましたが、朝9時過ぎで早いせいか客はだれもいません。

私は事前にネットで予約したN社のカウンターで手続きをし、三菱の軽自動車で空港島内を脱出、一路岡山に向かいました。

関空から岡山までの自動車ルート
        関西空港から岡山まで途中休憩を挟み、約4時間でした
奇しくもゴールデンウィーク中ではありましたが、岡山に向かう高速道路はどこも閑散としており、渋滞らしい渋滞もありませんでした。

5.その後
その後私は岡山の実家の2階で2週間巣篭もりをすることになりました。

事前に提出した資料に基づいて、管轄の保健所から毎日電話で体温と体調を聞かれます。

不要不急の外出は極力避けるよう言われており、私も、自分が原因で岡山県に感染者が出てしまうのはまずいと感じ、ひたすら家にいました。

幸い全く何も症状がでず、無事2週間過ごすことができました。

この場を借りて、空港の方、厚生省の方、保健所の方にお礼を申し上げる次第です。

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