基隆の嫁の実家に住んでいる関係で週末はよく市内を歩くのですが、台北に比べて日本人に出くわすことがあまりありません。
台北の中山エリアなどにたたずんでいると、自然と日本語を耳にします。台北に比べてかなりさえない基隆にどうやったら日本人観光客を呼べるか考えてみました。
雨の街 基隆
基隆は高速道路を使えば車で30分で台北にいける距離にあります。ですから台北からは十分通勤が可能な地域です。
実際バスや電車で台北に通っている台湾人も非常に多いのですが、僕が始めて会う日本人に基隆から通っていることを告げると例外なく「えええ、遠いですね」と言われます。
みなさんあまり基隆に来る機会がないからどうも距離感がわからないようです。
また基隆は半端ではなく雨が多い街として有名です。今年1月は31日中30日雨が降り続けました。当然気分も湿りがちで台湾人もあまり基隆に住みたくないようです。
台湾の天下雑誌というビジネス雑誌の調査によれば、自分の住んでいるところから逃げ出したいと感じている市民が一番多いのが基隆でした。
教育や生活機能面などの満足度ランキング結果をみていると、僕も思わず引越しを考えてしまいます。
港街 基隆
基隆の観光スポットといえば、廟口夜市、基隆港。基隆の夜市はたくさん点在する台湾の夜市のなかでも規模が大きいので、いつも観光客でいっぱいです。港も近いので歩いてこの2つのスポットをまわることができます。
でも正直これだけ。他にも海沿いの景色がいいところはあるのですが、そこで日本人を見かけたことは皆無。
日本のガイドブックをみても基隆の紹介は、新北市にある近くの九份やテレサテンの墓と一緒にされてようやく紙面を保持している状況。
実際今の状況で日本人観光客を基隆に呼ぶのは難しいかもしれません。街が小さく、キラーコンテンツも少ないので、観光で基隆にいても正直数時間でつまらなくなります。雨まで降られればなおさらです。
日本と関係が深い基隆
そこで僕が提案するのが、基隆に日本街を建設してはどうかという案です。
基隆は戦前は日本からの玄関口として栄え、日本人も多かったと聞きます。その名残かその時代の建物もいくつか残っています。
港近くにある陽明海洋文化芸術館の建物は、日本統治時代には日本近海郵船株式会社の所有でした。
港近くにある陽明海洋文化芸術館の建物は、日本統治時代には日本近海郵船株式会社の所有でした。
こういった建物を生かして戦前の日本のようなイメージをつくり、レトロな観光地に仕立ててみたら
どうでしょうか?
参考にしたのが日本の台湾統治時代の最大の先住民反乱「霧社事件」(1930年)を描いた台湾映画
「セデック・バレ」で撮影用に作った新北市林口にある映画のオープンセット。
これなら年配の日本人も呼べるし、地震の義捐金で台湾に興味を持った日台の歴史をあまり知らない最近の若い方にもアピールができます。
日本の太秦映画村のように、将来的には戦前の映画を撮影する拠点として売り出してもいいかもしれません。
日本の太秦映画村のように、将来的には戦前の映画を撮影する拠点として売り出してもいいかもしれません。
基隆が持つ日本との深い関わりをキラーコンテンツに変えることで、他の地域の観光の「ついでにくる」日本人を「わざわざ基隆のためだけにくる」客に変えて、かつてのように基隆が賑わしい街になることを願ってやみません。