台湾基隆市になぜ岡山県人が住んでいるのか?

私は岡山県倉敷市出身で、2007年3月に岡山を離れ台湾の北東にある港町、基隆市に住んでいます。 台湾でのサラリーマン生活で感じた個人的な感想をブログで書かせていただいています。

Tag:高速道路

コロナ禍のホテルの廊下
1.ホテル宿泊
帰国日当日に空港に迎えが来ない人、当日にレンタカーを手配できない人は、検疫所指定のホテルに宿泊することになります。一泊だけ無料で泊まることができます(二泊目以降は有料)。

翌日検疫の結果が出た後、陰性であればホテルを出ることができます。結果は翌日の午前中に部屋まで電話がかかってきます。

バスがホテルらしき場所の前に停まると、名前を呼ばれた人から下車です。下車して自分のトランクを出すと、ホテルの裏口から中へ入っていきます。

ホテルのフロントで受付をする代わりに、裏口エレベーター近くに設置した簡易机で簡単に名前を確認され、手配された部屋を告げられます。

裏口エレベータで指定の階まで行き、そこから部屋に入ります。エレベータのボタンすら押させてもらえません。まだ結果がでていないのですが、もう完全に感染者扱いです。

2.宿泊の掟(おきて)
コロナ禍で帰国者用に準備されたホテルの部屋
       
帰国者受入ホテル 至って普通の部屋
宿泊するにあたり、事前にいくつか説明がありました。その中でも特に注意すべきことは下記の2点。

(1)部屋から一歩も出てはいけない。
 一度入室すると一切室外には出ることはできません。だから近くの店に買い物もいくことができません。このため部屋の鍵は渡されません。

 驚くことにフロアの廊下の一番奥に見張り番の職員がずっと座っていました。

 館内の自販機でお酒でも買おうかと思っていましたが、それも無理。また室内で飲酒すること自体なぜか禁止されていました。

(2)食事はノックがしてから数分経ってから取ること。
 外へ出ることができない代わりに、職員がドアの外まで弁当など三食の食事を持ってきてくれます。部屋の外には椅子があり、その上に食事を配っていきます。食べたごみはその椅子の下に置くことになります。

 職員が食事を持ってきた際、部屋のドアをノックされますが、すぐにドアを開けてはいけません。そのフロアの食事を配り終わり、職員が立ち去ってからドアを開けることになります(その時間、ノック後数分と表現されていました)。

室内は普通のホテルと全く同じで、テレビもお風呂も使えます。WI-FIも飛んでいるのでインターネットもできます。環境は快適でした。

3.食事
コロナ禍ホテル夕食
       
宿泊当日夜のお食事
なにもやることはないので、やはり気になってくるのが食事の時間とその内容です。

食事の時間は、夜は7時ころ、朝も7時ころと記憶しています。昼はチェックインが遅かったこともあり、夕方近くにきました。食事は至って普通で、おいしくいただくことができました。

4.岡山へ
翌朝8時過ぎに部屋の電話が鳴りました。厚生省の職員の方からで、私のPCR検査結果は陰性だという連絡でした。多分今後の人生において、厚生省と直接連絡をとるのはこれが最後だと思われます。

その後すぐに荷物を片付けて部屋を出ました。エレベータ前では係員が厚生省が押印した「PCR検査 陰性」の証明書を手渡してくれました。
PCR検査結果
             PCR検査結果 陰性
変な裏口を通り、今回は晴れてホテルのフロントから出ることができました。そしてやはり歩いて5分もたたないうちに、空港のレンタカー事務所が軒を並べる棟に着きました。

そこには10社近くレンタカーオフィスが並んでいましたが、朝9時過ぎで早いせいか客はだれもいません。

私は事前にネットで予約したN社のカウンターで手続きをし、三菱の軽自動車で空港島内を脱出、一路岡山に向かいました。

関空から岡山までの自動車ルート
        関西空港から岡山まで途中休憩を挟み、約4時間でした
奇しくもゴールデンウィーク中ではありましたが、岡山に向かう高速道路はどこも閑散としており、渋滞らしい渋滞もありませんでした。

5.その後
その後私は岡山の実家の2階で2週間巣篭もりをすることになりました。

事前に提出した資料に基づいて、管轄の保健所から毎日電話で体温と体調を聞かれます。

不要不急の外出は極力避けるよう言われており、私も、自分が原因で岡山県に感染者が出てしまうのはまずいと感じ、ひたすら家にいました。

幸い全く何も症状がでず、無事2週間過ごすことができました。

この場を借りて、空港の方、厚生省の方、保健所の方にお礼を申し上げる次第です。

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「台湾は本当にバイクが多い」と台湾に初めてくる方によく言われます。

確かに台湾では通勤でバイクを使う人が非常に多いです。赤信号で停車した車の周りは、先を急ぐバイクがどんどんつめより、わずかな隙間を前へ前へと進んできます。

僕も日本からの車の運転免許証を台湾で切り替えて車を運転しているのですが、バイクが無謀に走ってくるのでどうしても運転が慎重になります。こんな状況だとどうしても日本の自動車教習所で学んだあの「かもしれない運転」モードにならざるをえません。

つまり飛び出してくるかもしれない、急にハンドルを切ってくるかもしれない、急ブレーキをかけるかもしれない・・といった超悲観的な視点から様々な可能性を考えて、十分に余裕を持った運転をするわけです。

台湾人の「かもしれない運転」とは?
今度は逆にバイクに乗る台湾人の心理を見てみます。

以前勤めていた会社で台北郊外に営業にいくとき、僕はたびたび技術者の台湾人R君のバイクの後ろに乗りました。正直何度も死ぬ思いをしました。

彼の運転は基本的にアクセル全開。雨が降ろうと路面に水溜りがあろうとお構いなし。

もっと怖いのが、前を走る車の隙間を見つけてどんどん追い越しをかけることです。バスが走るほんのわずかな隙間をフルスピードですり抜けるときは、目をつむって息子に最期のメッセージをテレパシーでおくったものです

車道の外側をすり抜けるだけではなく、場合によっては内側の車線から追い越しをかけるときもあります。

そんな彼の運転におののきながら感じたのは、台湾では同じ「かもしれない運転」でも、追い越しができる、まだ前に進める「かもしれない運転」なのではないかということです。

台湾人と日本人の「かもしれない」人生の違い
日本人と台湾人は似ているようでやはり違う
同じ「かもしれない人生」でも日本人と台湾人はとらえ方が異なる
こうした台湾と日本の「かもしれない運転」の考え方の違いは、生き方にも反映しているように感じます。

台湾ではサラリーマンより老闆(ラオバン)になる生き方、つまり独立して社長になる生き方が受けるようです。上は企業の社長から下は屋台のおやじまで、一国一城の主は台湾人の憧れです。

今でこそ日本も脱サラだのノマドだの言い始めていますが、基本はサラリーマンに甘んじるケースが多いです。

これを先の「かもしれない運転」に当てはまると、台湾人なら「独立してもっと金儲けができるかもしれない」生き方、日本人は独立なんかしてもうまくやっていけないかもしれない、失敗するかもしれない(からやめとこう)」生き方という感じでしょうか?

台湾で日本の安全運転を続けるとどうなるか?
台湾在住が非常に長い方から聞いた話によると、日本人は台湾で運転しない方がいいそうです。

その人の話によると、昔交通トラブルに巻き込まれたとある日本人ドライバーは、何度も何度も高額で納得のいかないお金を請求されて、耐えきれなくて日本へ逃げていったそうです。

そんなこともあり僕がハンドルを握る時は、ゆっくりと日本式かもしれない運転を心がけています。

しかし運転を交代で乗っている台湾人の嫁は当然「行けるかもしれない」運転で、正直横に座っているとちょっと怖いです。しかも僕が相変わらずの「かもしれない運転」に徹していると、「あなたはなぜそんなにとろとろ走るの?」なんて言われる始末。

さらには道に合流してくる車がたくさん強引に割り込んできて、まったく前に進めなくて困っていると横に座っていた嫁が我慢が出来なくなったのか僕が握るハンドルのクラクションを横からたくさん押し始めたりもしました。

日本の譲り合い精神を台湾人ドライバーやそして台湾の自分の身内にも理解してもらうことは難しいようです。

やはり交通に関しては日本スタンダードでいくとかえって安全を保てないどころか、目的地までもつかない「かもしれない」です。

2回目の台湾旅行のお供に


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